差異と差別の話

現代の日本も世界でも、差異と差別を混同していると感じることがあります。

例えば男女差別。

男女差というものは当たり前に、どうしたってあります。

男と女が違うのは誰でもわかります。子供でもわかります。

身体の作りも違うし、脳の動き方も、筋力も違います。

それは差異で、古来からの役割分担に起因するものでしょう。

それを現代社会は馬鹿みたいに何でも平等、とりあえず平等と、

差異と差別を混同し、

目的と手段をはき違えて何でも平等にすることを目標としてしまっているので

社会の方向性がおかしな方向にいってしまうと思います。

アメリカでは男性から女性に性転換したスポーツ選手が

体力や筋力で女子選手を圧倒し、記録を更新しまくっている、

なんていうニュースもときどきあります。

とても馬鹿げてると思いますね。

案の定、不満をもつ人々もいて、ブーイングの声も大きいようです。

性別を理由に機会を与えないとか、職業につけないとかは差別でしょうし、

それはおかしいと思いますが…。

差異と差別のラインは紙一重なところや、重複する部分もたしかにあるんでしょうが、

線引きすべきラインを間違うと、こういうことになってしまうのだろうと思います。

障害者もそうだと思います。

障害の程度や範囲によってその人の生産性には差があります。

頭がクリアで、デスクワークなら健常者以上の働きができる人もいるでしょう。

逆にそうじゃない人も、できる範囲でできることをしていると思います。

フェミニストにしろ、障がい者団体にしろ、

声だけは大きいので、

政治家や有名人たちが簡単に人気取りができるからと、

ノイジーマイノリティを安易に担ぎ上げるから

こういった社会の歪みが生まれるんだろうなと思います。

関連記事

TOP