べき論からの脱却の話

人はついつい、~すべきという、

べき論に囚われがちです。

世の中の常識というものは社会で生きていく上で

もちろん大事なのですが、

常識とそこから拡がる延長線の線引きは不明瞭です。

つまり、常識や常識だと思い込んでるもの

気が付かないうちに囚われてしまうことがあります。

すべきは英語だとshouldだと思いますが、

mustに近いニュアンスになってしまっている人が多いんじゃないかと思います。

こうなるともはや、~しなければならない、ですね。

べきという口癖は考え方を狭めるので使わないようにしている

尊敬する澤さんもVoicyでよく語っています。

反対に、○○できる、してもいいというニュアンスのableやcanを

考え方の基本にしていると生きやすいんじゃないかなと思います。

べき論が強い人は正義、正解がひとつだと思い込み、こだわる傾向があります。

正義を決めつけてしまう怖さが

今まさにロシアとウクライナの争いになっているのではないでしょうか。

ドラえもんも

「どちらも正しいと思ってる。戦争なんてそんなもんだよ。」

と言ってます。

常識に囚われていては新しいことは何も生み出せません。

逆に、極端に言えば法律に触れなければ何やったっていいんです。

成功者はみな常識破りです。

真面目な人ほど、狭小な考え方の傾向が強いです。

自分の中の考えが絶対的に正しいことなんてあり得ません。

あり得ないはあり得ない、です。(鋼の錬金術師より)

自分がそうとしか思えなくて、

相手側には思いもよらない事情があったりするかもしれません。

考え方や見方が狭いと

配慮や思慮が足りなくなりがちなので

相手を傷つけたり、怒らせたりしてしまうでしょう。

友達の少ない人や夫婦関係がうまくいかない人は

思い当たる節があるんじゃないでしょうか。

人間関係を築く能力の基本ですね。

考え方や見方の幅や奥行き、視点の多さは

包容力だったり、頼りがい、器の大きさという評価にも繋がってきます。

物事は多方向から立体的に広く捉える、ということが必要ですね。

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